主権回復の日について

「昭和27年4月28日」…この日は、サンフランシスコ講和条約(昭和26年9月8日調印)発効の日であり、連合国の占領統治が終了し、GHQが日本国から居なくなった日であり、日本国が「国家主権」を回復した歴史的な記念日です。

「昭和20年8月15日」…この日は、皆が知っている通り、「終戦記念日」です。お盆とも重なり、国を挙げて英霊をはじめ、戦争で犠牲になった方々への慰霊と平和を祈念する一日となっています。

しかし、別の側面から見れば、この8月15日は「敗戦の日」すなわち「ポツダム宣言」の受諾によって、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」無条件降伏、すなわち自ら「国家主家の喪失」を宣言した日でもあります。正式には、9月2日のミズーリ号での降伏文章の調印ではあるが、この日をもって日本国は自らの武装を解除し、自分の国を自分で守ってはいけない国になりました。

昭和27年4月28日までの被占領期間は、日本国統治は日本政府を通ずる関節統治の形式をとりつつも、国会の法律よりも、マッカーサー指令のほうが優越する時代であり、GHQに対する批判は検閲をもって言論も封殺されました。現行憲法は「明治憲法の改正」の形式をとったけれども、実質的にはマッカーサーの意を受けたものであることは周知のことです。教育分野では教育勅語をはじめ修身教育は廃止され、徹底的に制度や内容においても改変をされました。家族制度では、家督も廃止、個人中心主義の家族制度に改められ、それとともに民法や刑法も改正されました。財閥解体、農地解放など、様々な「日本国弱体化政策」は、朝鮮戦争によって占領政策が変更されるまで行われました。

本来、主権回復・独立回復の時点で総括し、改めて新生日本のあり方を定める必要があったのでしょうけれども、諸般の事情が不十分なままで、今日に至っているのではないでしょうか?

今日、国際情勢は大きく変化し、改めて日本の立ち位置を確認する必要がありますが、その為にも戦後政治のあり方を総括し、近現代史を総括しなければなりません。「主権回復記念日」の制定は、その為の一助になると考えます。

また、古来より世界中から尊敬された日本の勤勉で礼儀正しく、強さだけでなく人を思いやる優しさ等は、日本の誇る特性でしょう。そして、「人格の陶冶」「自立と自己規律」を重んずる教育は、戦後においてもアジア諸国の手本とされたことです。

しかし今日では、国レベルだけでなく社会や家庭においても利己主義の蔓延や倫理感覚の劣化に由来する現象が多発しています。金融・経済取引においても「自己規律」の欠如による弊害が顕著になり、今や社会全体の倫理観の低下や「甘えの構造」は、目に余ります。日本人のDNAが変わったのかと疑われます。何故このようなことになったのか?

平成25年4月28日、政府主催「主権回復の日」式典が天皇、皇后両陛下御臨席のもと開催されました。私も長年にわたり「主権回復の日」を実現するため議員連盟を作り、その責任者として携わってきた経緯もあり、今回の開催には取り分け感慨深いものがありました。

なぜ主権を喪失するに至ったのか、占領下にどういう政治が行われたのか、独立して国際社会に復帰したということはどういうことか、さらには今なおつづく沖縄の痛みを特定の思想に立脚することなく、日本人が自らを見つめなおし、自らを総括し、「自立」と「自律」を大切にしつつ、「守るべきは守り、変えるべきは変える」きっかけになり、そこから日本が立ち上がっていく、自らのアイデンティティを取り戻していくきっかけにしていきたいと考えます。

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